【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:(西郷+大久保)÷2=『稲盛』」から
2013/10/16
2013. 10.15 日経産業新聞の記事「眼光紙背:(西郷+大久保)÷2=『稲盛』」から
幕末の二傑に学んだ日航再生の英傑
コラムの著者は、1990年ごろに京セラの稲盛和夫会長(当時)に幕末の二傑である西郷隆盛と大久保利通から学んだという逸話に触れている。
○薩摩藩の二傑の評価
稲盛氏が学んだ幕末の二傑。ただ、人物評は、すこぶる大久保氏が悪い。地元でも今も西郷氏を尊敬はするが、大久保氏に対しては微妙だという。
要因は、西南戦争での大久保氏の処置が、怜悧であり非常だというイメージから来るという。だが、稲盛氏は、京都で起業した際に大久保氏の凄みを知ったという。政局に関わり、公家を巧みに操り、暗闘の中で、薩摩優位の政治情勢を作り上げた。西郷氏一人では近代国家たる日本は無かったかもしれない。
稲盛氏自身も日本航空の再生で、「公家集団」と称された日航幹部を見事に御したところなど大久保氏の思想があったかもしれない。
大久保氏は、徹底した合理主義者で、故郷のしがらみでさえ断ち切った。稲盛氏は、表では西郷氏の顔を押し出すが、要所要所で見せる顔は大久保氏のそれだったようだ。稲盛氏も二傑に勝るとも劣らない人材である。