【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「マネジメントの肖像⑱マイケル・ハマー」から
2011/09/30
2011.9.28 日経産業新聞の記事「マネジメントの肖像⑱マイケル・ハマー」から
90年代、日本企業は現場改善、欧米はポジショニング戦略の両極にあった
コラムの著者 ブース・アンド・カンパニー ディレクター岸本義之氏が示す今回の人物は、1980年代の前回話題になった『エクセレント・カンパニー』の課題であった具体的なアプローチを示したマサチューセッツ工科大学元教授で、『リエンジニアリング革命』の共著者 マイケル・ハマー(▶参考)である。
1980年代の日本企業の躍進を受けて欧米では、日本企業が誇る現場改善の手法について具体的に触れずにいた。ところが、マイケル・ハマーは、『リエンジニアリング革命』で示した手法であるビジネス・プロセス・エンジニアリング(BPR)を導入し、欧米の多くの経営が、現場改善に挑戦しようとした。BPRは、組織のプロセスを出来るだけスリムにしようというもので、重要でないプロセスは、「自動化するな、取り除け」とハマーは説き、既存のプロセスをご破算にして基本から再設計するものであった。BPRの第一歩は、白紙に自社のプロセスをすべて書き出して図式化した上で、どこに効率化の余地があるかを特定するということであった。続いて、従来の機能別組織ではなく、プロセス別組織への移行を設計する。機能別組織の縄張り主義を解消し、非効率性を取り除こうというものであった。
【不発終わったBPR】
岸本氏は失敗の理由を以下のように示している:
- 白紙に全プロセスを描く場合、歴史的な経緯や意味を捨ててしまい、現時点のみに着目することで、機能別組織の存在意義と価値を評価しなかった。
- テイラーのシステムと同様、非人間的な側面を持っていた
- 手をつけやすいところだけ革命が行われてしまい、経営者自身のリエンジニアリングは手つかずであった
しかし、このようなBPRであったが、経営者の眼が、現場の競争力に注がれた点や、機能別組織がもたらす組織硬化の問題にメスを入れた点では評価できるという。
当時、日本企業は「選択と集中」というポジショニング型の戦略が実行できなかったことから現場改善のアプローチに逃げ込み、欧米企業は、現場改善できず、ポジショニング戦略に逃げ込んだようだ。
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