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2010年7 月

【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の『眼光紙背:金をいくらため込んでも新たな価値は生まれない』より

2010.07.08の日経産業新聞の特集記事 より

金をいくらため込んでも新たな価値は生まれない

 このところ、緊縮財政、事業仕分け、無借金経営といった締めたお財布が「正しい経営」的な風潮がある。そこに疑問の余地はないのであろうか?

  • 欧米企業も「貨幣愛」で貯蓄に余念がない
  • 企業は、余剰資金で早く回転させ、再投資することで成長を図るもの
  • 貯蓄は、自己損失の補てんであっても、創造的投資ではない
    • 言い換えれば、危機が終結した後に「行うべき」再投資ができなくなる

とするならば、貯蓄は、短期の防衛手段であっても、事業の成長性を保証するものではない。

 「お金を使う」ことにも頭がいる。十分な戦略投資がなければ、回収が見込めず再投資出来ないからである。貯蓄には、頭はいらない。だが、その間に競合が、戦略投資を行っているとしたら、おのずと将来が見えるのではないだろうか?


【新規思考ツール】iPad用マインドマップツール iThoughtsHD

iPad用にいろいろMindManagerと互換の取れるソフトを探していたのですが、これは結構使い勝手が良いので購入しました。(今日現在で 900円@App Store) 早速、MindManagerのファイルをインポート: 

  • DropBox経由で、ファイルをPCから移動。
  • ImportはOK
  • Formatは引き継がれない
  • 英語版
ですが、サクサク動くので、ちょっとした時間で利用できますね。 ちなみに、以下は、その様子を表したもの。


ダウンロードサイトは、こちら。

【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞のトレンド関係より

2010.07.06の日経産業新聞の特集記事 より

ネーミングで女子向けには、漢字の読みを変える

 「恋瞳」で何と読む? こう聞かれて、答えられた人は、かなり流行に敏感。

正解は、「レンアイ」。瞳は英語でeyeだから、「アイ」。その音は「恋愛」を思い起こさせる。対象は、女性のマスカラ。そう、恋する瞳=恋愛の対象になる。

ひらがなや片仮名は紀貫之の時代から、おんな文字と言われた。その流れで考えると、「恋瞳」は男言葉。そこに、女子を対象にする商品に対する「ねじれ」があって面白い。

 常識のイメージを視点を変えて、新規のアイデアにすることも、意外とこういった日常に隠れている。


【ヒット商品】ネタ出しの会 時事から 消えゆくビジネスは何を残したか

2010.02-03 NHK「ゲゲゲの女房」「タイムスクープハンター」より

消えゆくビジネスは何を残したか

 ゲゲゲの女房では、東京オリンピックブームで成長軌道に乗った昭和が舞台。テレビ台頭の前には、漫画雑誌の貸本屋業があった。番組では、町の子供たちのコミュニティの中心であった貸本屋が消え、茶の間にテレビが入っていく交代期を描いている。

 一方、タイムスクープハンターは、明治時代、大阪の米穀市場の市況を通信インフラのない時代に、旗をふることで秘文を伝えた「旗振り」について焦点を当て、かれらのプロとして意地と時代の変化を見事に描いている。

 何れも消えゆくビジネスである。しかし、これらのビジネスが当時担ったインフラは、次の時代のインフラにもなっている。貸本屋の子供たちのコミュニティは、テレビ番組のこどもジャンルに引き継がれ、やがて鉄腕アトムで代表されるようなテレビ漫画の全盛期につながる。旗振り役は、最初の電話網が企業で使われる長距離電話、テレックス、ファックスの台頭を予感させる。

 今全盛のインターネットビジネスも、きっと同じ運命を次の時代から見れば辿るに違いない。このインターネットビジネスでは一体後世に何を残すだろうか? 


【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞 - 強い大学 シリーズ

2010.07.05の日経産業新聞の特集記事より

強い大学とは? 「育てる」を忘れた教育機関

 日経産業新聞のこの特集では、大学の法人化に伴う問題点を浮き彫りにしている。大学を小中高の一貫教育として、塾の存在までとりこんだもの。学費を取り込むために就職先のレベルで勝負しようという動き。留学生を軸にして国際化を謳うもの。どれを見ても、学生に対する「指導」や「学習」は語っているが、「育てる」話は出てこない。

 育てることは、コストを上げることだけなのか?

 先ごろ、明治大学学長の杉山先生のお話を聴く機会があった。杉山学長が語った中で『大学は、「教える」、「育てる」がなく「研究」にのみ没頭すればその存在価値がなくなる』という言葉があった。かつての大学教官は、研究さえできれば象牙の塔の住人として名誉であった。しかし、学生にその研究成果を教え、研究するこころをもつ人財を育てることが今の大学の役割であると。

 研究は自発的で、しかも創造的な活動である。企業が研究する商品開発や技術開発は、そういった意味では自発的でなく、研究とは呼べないかもしれない。では、自発的で創造的な活動は、どう育まれるのか?そこに大学教官や教員に必要な人財教育がある。さらに重要なことは、自発的であるということ。創造性は企業の研究所でも求められるが、自発的にテーマを選び、探求し、真実を求めるアプローチに必要なことは創造性になる。自発的でなくなった途端、学生との関係は、階層社会そのものになってしまう。

 名古屋大学で多くのノーベル賞を受賞した要因は、自由闊達な研究室の意見交換(時には激烈な論戦)であったという。また、こういった環境を伝統的に引き継ぐ、教員の先見性があったに違いない。

 大学は最高学府であり、最高の人財開発の場でなければならない。