【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:プロ球団100年と品川」から
2020/01/08
2020.1.6 日経産業新聞の記事「眼光紙背:プロ球団100年と品川」から
野球史に残る球団創設の起源が品川に
コラムの著者は、平岡凞(ひらおか ひろし)氏の日本初プロ野球球団の創設について触れている。
◯民間車両メーカーの創業も
2020年は日本最初のプロ野球球団「日本運動協会」の発足から100年という記念の年でもあるという。同野球団は早稲田大学野球部OBを中心に編成され、その技術向上に貢献したのが、平岡氏であるという。
平岡氏は、徳川御三家の1つ田安家の家老の家に生まれ、15歳で米国に留学し、ボストンやフィアデルフィアで機関車や客車の製造技術を学んで帰国。工務省鉄道局に入省し新橋鉄道局に配属。その後、民間車両メーカーである平岡工場を創業する。同工場はその後汽車製造会社に吸収、さらに川崎重工業と合併した。
平岡氏自身は、留学時代に仲間と楽しんだ野球が忘れられずに1878年に国内初のクラブチームとされる新橋アスレチック倶楽部を設立した。平岡氏はさらにボストン・レッドストッキングス(アトランタ・ブレーブスの前身)のスター選手であったアルバート・スポルティング氏と親交があり、引退前にスポーツ用品会社スポルティング社を立ち上げたアルバートから、野球用具や最新のルールブックの提供を受けたという。さらに、球場建設にも尽力し、現在の品川駅の南側に「保健場」というグランドを作った。平岡氏自身も留学時代に変化球を習得し「国内初でカーブを投げた男」という称号までもつ。保健場は旧制一高(東京大学教養学部の前身)や早稲田大学、慶應義塾大学の学生らを指導したという。品川は野球の聖地の1つだという。⚾︎🚃🎓📖🏦💴📊🔎⚡️🌍🌎🇯🇵🇺🇸
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