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【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「TechnoSalon:幕末の大砲鋳造の意味するもの」から

2019.4.25   日経産業新聞の記事「TechnoSalon:幕末の大砲鋳造の意味するもの」から

藩や身分を超えて情報交換

コラムの著者 筒井 泉氏(高エネルギー加速器研究機構・准教授)は、西伊豆の温泉近くである韮山にある史跡を訪ねたところ、幕末時代の反射炉があり、そこで働いたであろう技術者について述べている。

◯技術者たちの熱意と彼らへの敬意はその後殖産興業の原動力に

 韮山の反射炉は、鍋島藩や島津藩など開明的な藩主がつくった反射炉ではあるが、唯一、元の建物が現存しているものだという。幕末、当地の代官の江川坦庵が海防のために大砲鋳造を目的としたものであるという。

西欧の科学技術を導入するにあたり、明治政府は本場の外国人教師を招聘したが、旧幕府の攘夷思想の時代に長崎のみが海外の情報源であった。韮山の反射炉も当時、オランダ語を翻訳した図面を元に建造されている。大型の鉄製大砲を量産するには、原料である良質の銑鉄と高温燃焼ができるコークス(石炭)が必要で、さらに実用的な鋳造技術の蓄積がなければならない。当時の日本はこれらを全て持っておらず、鋳造に失敗してきた。それでも明治維新までの10年間という短期で一定量の実戦的な大砲の製造に成功したことは驚きである。

さらに注目すべきは、この間に技術者たちは幕府や藩の垣根を越えて互いに情報を交換し、また、藩側も職人の彼らを士分格に引き上げるなどの優遇策を取るなど、この事業を通じて、強固な幕藩体制や身分制度が見直されたことである。 

当時西欧では熱学の原理について論争が繰り広げられたが、それとは独立に当時の日本の技術者は、反射炉とよばれるように天井の形状や材質を工夫することで、赤外線反射を利用し熱効率を上げた。このような反射炉は維新後は放棄されたが、技術者たちのモノづくりへの熱意と、彼らに払われた経緯は、やがて、列強に肩を並べる殖産興業へとつながったという。🏭🔧🏠📖🎓⚡️🌏happy01🌏💡🇯🇵

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