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2016.11.18  日経産業新聞の記事「TechnoOnline:近代西欧科学の道程、アラビア文化圏で発展」から

イオニア学派から発展

コラムの著者 和田 昭允氏(東京大学名誉教授)は、サイエンス思考の起源を求めて歴史を紐解いている。

◯意外にローマ帝国はサイエンスの基礎を発展継承できなかった

サイエンス思考は、エーゲ海東部のイオニア地方の都市国家ミレトスで誕生。古代ギリシャの哲学者タレスからアナクシマンドロス、アナクシメネスと続くイオニア学派が生んだという。さらに、この科学を持ち込んだのはギリシャ文化の中心tなった都市国家アテナイである。この都市国家の黄金時代を築いた政治家ペリクレスの友人の哲学者アナクサゴラスだあった。

その100年後、遊学を終えたアリストテレスがマケドニアの支配下となってしまったアテナイに戻り、北東郊外のリュケイオンに学校を開く。だが、アリストテレスの死後、科学研究の中心は、エジプトのアレクサンドリアに移る。そこでは王が学術研究の殿堂「ムセイオン」を建設しサイエンスを推進する。アテナイの哲学的議論から脱し、組織的で精密な学問として成立した。

繁栄を極めたギリシャもやがて衰え、土木・水道などのテクノロジーに大きな歴史を刻んだローマ時代も、サイエンスの基礎を継承発展はできなかった。ギリシャ科学はローマ帝国の分裂後東ローマ帝国に移り、さらに8世紀半ばのアッバース朝成立後、カリフの庇護のもとバグダッドを中心とするアラビア文化圏で発展した。

これを西欧社会は逆輸入的に、ギリシャの科学書をアラビア語訳からラテン語へ12世紀に移り、スペインから、また同時にシチリア島を中心にギリシャ語から直接ラテン語訳して輸入した。

14世紀にはオスマン帝国の圧迫で多くお学者がイタリアに移住し、ギリシャ語写本を翻訳した。13世紀末から15世紀までのルネサンス期にはラテン語訳、近代語訳となる。

アラビア文化圏は一種の保護の役割を担い、西欧科学がここから出発したとは興味深い。pchappy01

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