【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:世界遺産登録の意義」から
2014/06/26
2014. 6.24 日経産業新聞の記事「眼光紙背:世界遺産登録の意義」から
産業史としての意義の多いスポット
コラムの著者は、先週末ユネスコの世界文化遺産に登録が決まった「富岡製糸場」(群馬県富岡市)の歴史を産業史として解説している。
○官営工場後の産業史
1872年官営工場として創設。1893年に三井家に払い下げられ民需化した。その後、1902年に生糸貿易商の原合名会社(横浜)の手に渡る。創業者の原善三郎氏は横浜の生糸商人の雄として、当時輸出産業の一角を担った。この外貨獲得で、日露戦争などの戦費調達に大きな役目を果たした。
善三郎の孫娘の婿である、後継者、原富太郎氏は横浜・本牧の自宅を自ら号した「三渓園」と名付け、市民に公開した。その後、昭和に入り戦時色が強くなると、米国との関係悪化のため輸出量は激減。富岡製糸場は、片倉製糸紡績(片倉工業の前身)に経営が移る。機械化による事業拡張を伴って東京に進出。富岡製糸場を手に入れたころは、最大の売り上げで、朝鮮半島、台湾などを含み国内外60か所以上の工場を展開した。片倉財閥とよばれたころである。
このように、家内制手工業、軽工業の隆盛、機械化による工場制軽工業からやがて、戦後の重工業化に移行する歴史遺産でもある。
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