【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:ある工場の電子立国盛衰」から
2022/09/21
2022.9.15 日経産業新聞の記事「眼光紙背:ある工場の電子立国盛衰」から
DRAMからPDP、太陽光パネルと生産品目を変えた国富工場
コラムの著者は、宮崎県国富町の工場を軸に日本の電子立国の盛衰と呼応した様子について触れている。
○水質の良さが工場立地の条件であった
コラムの著者によれば、国富町の工場は以下のような変遷を経ている:
- 1984年5月末:富士通が同地に半導体工場を建設する立地協定を締結。当時の小林大祐会長は「国富町はなんと言っても半導体製造に欠かせない水がいい」と述べたという。16Mbitや64MbitDRAMを製造。
- 1996年:プラズマディスプレーパネル(PDP)の生産工場に模様替え。42型概算で月産1万台の生産能力で世界初の量産工場であった。
- 1999年:富士通と日立製作所は両者折半の「富士通日立プラズマディスプレイ(FHP)」を発足。ただPDPの価格下落で苦しむ。
- 2005年:FHPを日立が子会社化。バックライトが必要なLCDよりもPDPは階調表示能力が優れていたが、コスト削減に失敗。
- 2009年:昭和シェル石油(現出光興産)が日立からPDP工場を買収譲渡。ここで100%完全子会社のソーラーフロンティアが化合物型太陽光パネルを製造。
- 2022年6月:同工場での太陽光パネルの生産を終了。今後、太陽光パネルのリサイクル技術に取り組む方向に。
まさに、電子立国・日本の盛衰の縮図を見ているようである。☀️🏢🚗🚀⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🗒🌏🇯🇵
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