【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「TechnoOnline:戦史に学ぶ、『おごり』は専門家の欠点」から
2016/04/01
2016.3.29 日経産業新聞の記事「TechnoOnline:戦史に学ぶ、『おごり』は専門家の欠点」から
専門家であればあるほど高まるおごり
コラムの著者 和田 昭允氏(東京大学名誉教授)は、戦史の中から人類の愚行の経験をみて教訓が学べるとしてその事例に触れている。
◯「我々が歴史から学ぶことは、我々が歴史から何も学んでいないということだ」
これは、ヘーゲルやバーナード・ショーなどがアイロニーをこめて語ったという。一方、歴史とは人類の犯罪と愚行と悲惨の記録だとも言われている。だからこそ、人類は学ぶ必要があるのだという。修羅場の戦場では人間は本性を曝け出し、こんな人生の教科書はまたとない。戦史から学べる人間の「欠点」を和田教授はあえて1つだすとすると「おごり」だという。
おごりは、言い換えると、成果にだけ甘えて反省のない、学ぶことのない精神構造だという。
和田教授は以下の人物をあげて「おごり」を示している。
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フェルディナンド・フォッシュ元帥(第一次世界大戦の連合国軍総司令官);1919年に飛行機をみて「飛んで遊ぶのは体にはいいかもしらんが、軍事的な価値はゼロだ」と一笑に付した。
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ダグラス・ヘイグ最高司令官(同大戦初頭、1915年の言葉);「マシンガンは大隊あたり2丁あれば十分すぎる」とマシンガンの連合国軍の増強案を拒否した。
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ホレイショ・キッチナー元帥(陸軍大臣);1915年、塹壕突破マシンとして戦車が提案された時、「我々は空想の世界から厳然たる現実に降り立たなければならない」と酷評したという。同様に最初の戦車が彼の面前で威力を示した時も「手際の良い玩具だ。戦争はこんな機械で勝てるものではない」と酷評。
専門家であればあるほど高まる「おごり」の好例だ。いうまでもなく、戦車も飛行機もマシンガンも第二次世界大戦の帰趨を決した主役である。
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