【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:年金運用の限界」から
2012/09/26
2012.9.24 日経産業新聞の記事「眼光紙背:年金運用の限界」から
逆説的な年金の運用
コラムの筆者は、少し大胆だが、これまでの年金の運用の仕方に疑問を投げかけている。
【もともと、おおらかな投資が基本だったはず】
コラムの著者がいところによると、投資運用はもともと、将来に向けてリスクを取りに行くことで、短期の資金運用を上回るリターンを得ようという考え方であった。つまり、おおらかで軽やかな意味合いがあったという。
ところが、30年あまり、世界の年金運用本格化の波に乗った機関投資家の拡大で、一気に様相が変わったという。
【資金運用の世界へ】
大事な資金である年金であることから、毎年きちんと運用内容と成績を点検すべきというのが金科玉条となってしまったという。こうなると厳密な資金運用が必要である。そこで、コラムの著者は、
- 債権なら満期まで持ち続け、半年ごとの利金収入をあてにする
- 株式の投資は少なめにならざるを得ない
- となると、高額な報酬を必要とする運用のプロは不要で、債権の満期処理の事務手続きだけでよいのではないか
という。この考えに異論があるなら、本格的な長期運用を目指せともいう。つまり、毎年の成績よりも5年10年のスパンで投資収益の最大化を運用担当者に期待するもの。では、結果として、期待値通りの結果が出なかったら、それは運用を委託した側の責任ではないのかとさえ、コラムの著者は指摘する。言い換えれば覚悟がないなら、委託をしてまで運用をするのかという。手厳しい意見である。
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