【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:技術偏重を戒めた富士通の闘士」から
2012/02/04
2012.1.31 日経産業新聞の記事「眼光紙背:技術偏重を戒めた富士通の闘士」から
強力なリーダーシップの根源は?
コラムは、コラムの著者も記事の件で関わった故 山本卓真氏(富士通元会長、元社長)の技術偏重からマーケットインの経営方針についての述懐である。
・「日本にデファクトスタンダード(業界標準)を作る力はない」
⇒山本氏は当時大型汎用コンピューターで国際標準であったIBM互換路線を敷いた。さらに、国際標準だからIBMにインターフェイスを公開せよと迫り、互換路線を認めさせた。
⇒2010年9月の講演では「富士通はカネも取られたが大義名分も得た」と語ったという。
・1980年代末の日米スーパーコンピューター摩擦では一歩も引かず
⇒対米批判の渦中で、コラムの著者が書いた記事を「どこが日本経済新聞だ。アメリカ経済新聞だろう」と言ってのけたという。
⇒スーパーコンピュータ‐の事業化には反対であったが、顧客の前に連れて行かれ、強引に稟議書の決裁をさせられる際に、判子をサカサマにおしたという。
・先輩社長の言葉「企業は受注に始まる」を信奉
⇒「技術のユニバックは販売のIBMに及ばなかった。技術の日産は販売のトヨタに及ばず、技術の東芝、日立は、販売のパナソニックに及ばない」
⇒「技術の鼻をへし折る営業こそが成功の経験則」と説き、技術偏重を戒めたという。
「京」を生んだ技術もこう言った闘士の社長がいたからこそ開花したのだろう。
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