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2024.5.16  日本経済新聞の記事「あすへの話題:アニメイテド・ペルソナ」から

「今ここに誰かがありありといる」という感覚

コラムの著者 森岡 正博氏(哲学者)は、東日本大震災後、被災した人がテレビで取り上げられていて、津波で家族が行方不明になったと聞いた。「こうやって浜辺に出て風に吹かれていると、自分の家族がいまそばにいるとありありと感じることがある」と語ったという。

○現代科学の前では「錯覚」と受け取られるかもしれない

森岡氏によれば、行方が分からなくなった家族に対する愛情や思いが引き起こしたのだろうと思ったという。確かに現代の科学の前では、この話は「錯覚」でしかないのかもしれない。

だが森岡氏は、近代科学の「錯覚」という考えに必ずしも縛られる必要はないという。いなくなって会えない家族がいま風の中にありありといるという。この感覚は「錯覚」として否定されるべきものではないという。つまり、「このような家族の存在や気配を感じるのは、本当に何かがそこに現れている」という可能性も否定できないからである。

我々は、目の前に生きた人間の体がなくても、「ああ、いま誰かがここにありあるといる」という強烈な感覚を持つことがある。亡くなった親や子どもが自分のそばにいると感じる体験は、世界中で報告されている。ただ、霊魂や宗教でいう実体がそこに来るといった感覚ではないという。

このような体験を森岡氏は「アニメイテド・ペルソナ」と呼びでいてこれを説明しようとしてきた。だが、森岡氏には目の前にありありと迫ってくる紛れも無い他人の「こころ」であると感じるしかないという。👶💬⚡️🏙️💡🏗🚚📈🏢⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍happy01🇯🇵

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