【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:『記憶にございません』言い訳の変遷」から
2019/10/24
2019.10.23 日経産業新聞の記事「眼光紙背:『記憶にございません』言い訳の変遷」から
映画のタイトルではないが
コラムの著者は、1976年2月に発覚したロッキード事件以後、疑惑の政治家や企業経営者、行政トップの証言で言い訳や逃げ口上として使われた「記憶にございません」に注目している。
◯今は「第三者委員会にお任せ」が常套句
1976年2月に発覚したロッキード事件は、丸紅、全日空など企業と政治家を巻き込んだ一大疑獄事件となって、当時の首相であった田中角栄が実刑判決を受けた。国会に証人として喚問された丸紅の役員や政治家が多用したのが、「記憶にございません」という言い訳であった。同様の企業犯罪がおこるとたびたび登場。しかし、記憶になくても記録で証明されるため、言い訳にならず下火になった。
その後「秘書がやったことで」という逃げ口上がブームになったが、かえって秘書が真相を暴露することが増えて危険視されることになった。学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる問題では元国税庁長官が「刑事訴追の恐れがあり、発言を控えさせてただきます」というフレーズを繰り返した。
最近は、関西電力の経営陣が元高浜町助役から多額の金品を受け取っていた問題では、「第三者委員会の調査に委ねさせていただきます」が頻繁に使われた。「第三者委員会」と言えば権威と中立性の空気が漂うからか逃げ通せるように見えるという。折しも三谷幸喜氏の脚本・監督の映画「記憶にございません」がヒットしているいう。懐かしさと言い訳としてあまりにも単純だからだろうか。🎥📱🖥📖🗞🌃🏢💡🔎⚡️🌎🎓🇯🇵✈️🌆
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