事例

【ヒット商品】ネタ出しの会 日本経済新聞の記事「科学むしばむ『不適切な研究』:解析でズル、機能性食品でも指摘」から

2024.4.14  日本経済新聞の記事「科学むしばむ『不適切な研究』:解析でズル、機能性食品でも指摘」から

都合の良い結果を導く「不適切な研究」が横行

コラムの著者 松田 省吾氏(日本経済新聞社)は、医学や心理学、政治学など追試験をしても再現性がない研究が問題になっているという。影響はアカデミアにとどまらず、我々の健康に関連する商品にも影響を与える可能性もあるという。「不適切な研究」が横行する要因と再現性を確保する施策について語っている。

○影響はアカデミアにいいかげんな書籍や健康食品などで社会に悪影響も

松田氏のコラムによれば、「発表された様々な分野の研究について再現性などを検証する」と2024年1月、科学誌ネイチャー・ヒューマン・ビヘイビアが研究の信頼性を調べる機関との取り組みを発表したという。ここでの再現性とは同じ条件で実験を繰り返した際に同じ結果が得られることを指す。人類学や疫学、経済学、政治学などで追試をするとした。

再現性のない研究が近年、アカデミアの課題となってきている。では、なぜ再現性が確認できないのか。専門家はその背景に多くの未測定要因があるからだという。例えば、心理学では研究の対象となる人の心を左右する要因は無数にあるという。実験の条件や環境を全く同じにすることは難しく、そもそもどこまで同じにすれば追試になるのかも不明である。

さらにこうした仮説検証や実験の難しさに加えて、都合の良いデータ解析などをする「研究のチート行為」のために再現できない場合もあるという。これを「疑わしい研究実践(QRPs)」と呼んでいる。

QPRsの事例として、松田氏は多重検定の悪用をまず上げている:

  • 様々な項目や指標でデータを手当たり次第に取り分析し、科学的に効果のある「統計的に優位な差」が出てきた組み合わせだけを論文で報告するものである。

次に「HARKing」である。

  • これは、実験で予期せぬ結果が出た時、その理由を考えて後から仮説を設定し「最初からそう考えていた」と報告するものである。

「p値ハッキング」:

  • p値が実験結果がどれくらい獲得しにくいものかを表す仕様として定義されている。
  • 最初からp値が一定以内になるよう恣意的にデータを除外や追加をする行為の問題点を無視して実行することである。

こういったQPRsは査読制度では発見されないことも多く、解決策として、実験の「事前登録」や「事前審査」を行なって第3者の審査も含めて事前に行なっておく。実験後の勝手な解析を防止することができる。導入する学会もあるが、普及はこれからである。

QPRsの問題はアカデミアに留まらず、国民の健康に関連する機能性表示食品でも指摘されているという。つまり、効果を支える論文がQPRsであるときや掲載学会が掲載料を目当てに査読の甘い、いわゆる「ハゲタカ・ジャーナル」などを参考にしている例もあるという。🗒️💊🥛🎮🎸♪💬📻⚡️🏙️💡🏗🚚📈🏢⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍happy01🇯🇵


【ヒット商品】ネタ出しの会 日本経済新聞の記事「ゲームのトビラ:『桃鉄』授業に採用、遊ぶうちに地理学ぶ」から

2024.4.13  日本経済新聞の記事「ゲームのトビラ:『桃鉄』授業に採用、遊ぶうちに地理学ぶ」から

ゲームは勉強の害にならず

コラムの著者 野安 ゆきお氏(ゲームライター)は、学校教育で採用されているゲームの中で、定番で大人気の「桃太郎電鉄」を紹介し、その背景について語っている。

○いまなお大人気の定番ゲームである「桃太郎電鉄」シリーズ

野安氏によれば、2023年に学校など教育機関への無償提供が始まって、ID発行数は7000を超えた「桃太郎電鉄 教育版Lite 〜日本っておもしろい」は、全国の小学校では20%に相当する4000校が採用しているという。

ゲームの概要は、全国各地を舞台にした双六(スゴロク)である。4人までで対戦可能。サイコロを振って鉄道路線を進み、止まった駅でその土地にちなんだ施設や工場などを買い集め、一定期間後の資産額で勝敗が決まるという。プレーヤーである子どもたちは、遊んでいるうちに全国各地の特産品、名産品やランドマークなどを自然に覚えていってしまうという。

では、なぜこんなに教育関係者に「桃太郎電鉄」が支持されるのか。1988年にシリーズ第1作が任天堂のファミリーコンピュータ向けに発売されて以来、ロングセラーでいまも人気が高いという。

2020年に発売されたニンテンドースイッチ版「桃太郎電鉄 〜昭和 平成 令和も定番!〜」は累計400万本の大ヒットを記録。舞台をさらに世界に広げた「桃太郎電鉄 〜地球は希望でまわっている!〜」も2023年に発売され販売本数100万本を超えたという。

人気の秘密は、リールがシンプルで小さな児童でも遊べながら、ライバルを邪魔するカードなどもあり、ハイレベルな駆け引きも可能という点である。どうやらさらに人気を支えているのは、その子らの教師が昔やった有名なゲームであるからだともいう。今や百科事典や図鑑の代わりとしてゲームで地理を学んでいく時代のようだ。🗾🚃🎮🎸♪💬📻⚡️🏙️💡🏗🚚📈🏢⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍happy01🇯🇵


【ヒット商品】ネタ出しの会 日本経済新聞の記事「Deep Insight:新興AI、GAFAMのむか」から

2024.4.12 日本経済新聞の記事「Deep Insight:新興AI、GAFAMのむか」から

米IT業界の興亡を振り返るとGAFA時代は終わったと言われるが

コラムの著者 村上 恵一氏(日本経済新聞社コメンテーター)は、米IT産業史を振り返って2回の節目の裁判が行われたという。それは、主戦場の推移に連動しているという。1回目は、主戦場が大型コンピュータ、いわゆるメインフレームの時代からPCへの移行期、2回目は、PCからインターネットとスマホが主戦場への移行期である。この主戦場の移行期に、米司法省が提訴している。そして今度は、インターネットとスマホからAIへの移行期に、司法省やFTCが提訴し始めた。これまで、主戦場の盟主は、IBMからマイクロソフト、GAFAへ移行したが、オープンAIやアンソロピックなどの新興AI企業がその地位に就こうとしているという。

○イノベーションは残念ながら裁判所ではおこらない

村上氏によれば、2回の象徴的な裁判は主戦場の移行と盟主交代を位置付けたが、それがイノベーションになったわけではないという。イノベーションはあくまでもテクノロジーやビジネスモデルを世に問い続ける起業家精神があってこそ生まれるという。

GAFAとマイクロソフトを加えたスマホ時代の覇者は、今の所、生成AI新興のオープンAIやアンソロピックを見掛けの上で取り込んだように見えている。また、生成AI企業への投資する米半導体大手のNVIDEAも有力視されているが、根幹は生成AI新興である。オープンAIが動画や人の声の合成で話題を攫い、アンソロピックが文字や画像、プログラムを制御する技術で対抗している。

多くの生成AI新興は、大手の庇を借りる状況だが、この立場が逆転する可能性もないとは言い切れない。村上氏は事例としてGoogleを上げている。元は、米Yahooに検索エンジンを提供する下請企業であったが、広告を絡めることで飛躍的に成長し、母屋を乗っ取ってしまった。同様の状況が生成AIの2つの新興に起こらないとは言い切れないという。強かに大手を乗り越えることが、イノベーションの醍醐味であろう。裁判はその呼び水に過ぎない。😴🛏️🎸♪💬📻⚡️🏙️💡🏗🚚📈🏢⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍happy01


【ヒット商品】ネタ出しの会 日本経済新聞の記事「あすへの話題:ラジオの癒し」から

2024.4.12 日本経済新聞の記事「あすへの話題:ラジオの癒し」から

好みの大きさで耳に入る音声は脳を疲労させない

コラムの著者 小池 真理子氏(作家)は、1972年前後の大学時代に四畳半のアパートで一人暮らしをした経験があるという。その侘しい住まいにはTVも電話もなく、スチール製の本棚と勉強机、ちゃぶ台にもなるこたつと小型のトランジスタラジオのみだったという。そんなラジオの音に癒される人々が結構いるという。

○見知らぬ無数と人と繋がる感覚

小池氏によれば、当時は音楽が欲しくって、ほぼ一日中ラジオをつけっぱなしにしていたという。昼間は米軍向けのFEN、深夜はFM東京の「ジェット・ストリーム」だったそうだ。報道やトーク番組もあったが、小池氏には耳から入ってくる音楽とDJの語る言葉だけで十分であったという。

小池氏の友人で心の病気を患っていた人がいた。その友人が、ラジオを聴くことがメンタルの安定に繋がると教えてくれたという。自分の好みの音量で聴こえてくる音声は、脳を疲労させないと、主治医から強く勧められて、TVではなくラジオを聴いて日々の暮らしをするようになってから気持ちが安らいできたという。

そういえば夜の帷が降りてベットで聴く深夜ラジオは同じ音楽、同じ言葉を聴く無数の見知らぬ人々と静かに繋がっている感覚があり、そんな自分を感じるという。不思議な体験である。😴🛏️🎸♪💬📻⚡️🏙️💡🏗🚚📈🏢⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍happy01


【ヒット商品】ネタ出しの会 日本経済新聞の記事「あすへの話題:誕生肯定の難しさ」から

2024.4.11  日本経済新聞の記事「あすへの話題:誕生肯定の難しさ」から

哲学者ニーチェは「善悪の彼岸」で表現

コラムの著者 森岡 正博氏(哲学者)によれば、自分が生まれてきたことを良かったと心から思えることを「誕生肯定」というそうだが、哲学者の目では一見わかりやすいようで厳密には難しいという。つまり生まれたことに良し悪しがないからで、そこにあるのは事実だけである。

○生まれている状態と生まれていない状態を同一次元で判断できないところが難しい

森岡氏によれば、生まれてしまった状態では善悪はそこにななく事実だけである。目の前に赤いリンゴと緑のリンゴがあったとき、赤のりんごの方が良いと言えるのは、赤と緑のリンゴが目の前に同一次元で存在しているからである。つまり、誕生肯定を考える時、生まれている状態と生まれていない状態をちょうど2個のリンゴのように目の前に並べて優劣をつけることができない。

さらに自分の視点で考えることはすでに自分が生まれていることを示していることから現実であり、生まれてこなかったことは現実に反していることになる。つまり同一次元でないからである。また、森岡氏が考える時、生まれたことは良し悪しではない、事実だけであるとすると、誕生肯定自身も言えないことになる。この決定的な状況を起点として、我々は本格的な哲学的思索に歩み始められるという。この状況をニーチェはかつて「善悪の彼岸」といったという。つまり、誕生肯定自身が存在しないことからニーチェは一笑にふしたかもしれない。👶💬⚡️🏙️💡🏗🚚📈🏢⚡️💹📖🖋🔑🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍happy01🍎🍏