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2012年12 月

【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「三浦俊彦の目:コンテクストの可能性」から

2012.12.20  日経産業新聞の記事「三浦俊彦の目:コンテクストの可能性」から

コンテンツ(商品単体)からコンテクスト(物語や生活様式)へ

コラムの著者 三浦俊彦教授(中央大学商学部)は、「コンテンツデザイン戦略」共編者の原田保氏(多摩大学大学院客員教授)の主張する「コンテンツからコンテクストへ」単品のデザインから文脈へのデザインの以降について語っている。

【移行の事例】

  • 米ゼロックス:複写機の不具合の内容ごとに詳細なマニュアルを作成したが、顧客は満足していなかった。そこで、複写機を修理する発想から「顧客と機械の相互関係」を修復することが重要と考えた。そこに、複写機(コンテンツ)だけでなく顧客と機械の関係(コンテクスト)の修理という視点に顧客が共感した。
  • サントリーの緑茶「伊右衛門」:飲料単体では他社の製品と大きく変わらない。しかし、共同開発した京都の日本茶の老舗「福寿園」の伝統や竹筒を模したペットボトル、テレビCMなどの1つの物語を作り上げている。
  • 明治の野菜にチョコレートをつけて食べる「チョコベジ」:骨子は「翻訳」。みんなでワイワイ楽しみながら自分で作って食べるフォンデュのコンテクストを翻訳した商品。
  • AKB:骨子は「過程」。曲ごとにメンバーも確定せず多くの葛藤や悩みをファンと共有する。ファンはCDを買って握手会や「選抜総選挙」に参加し成長する。この過程が物語(コンテクスト)となってファンのこころを掴む。

コンテンツである単品の競争は汎用化が避けられず、何れは値下げ競争に陥ってしまう。単品を組合せ、いかに顧客に支持されるコンテクスト(物語や生活様式)を創造できるかが問われている。happy01


【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「ゲーム流でビジネス改革⑤:おもてなしの意識こそ」から

2012.12.19  日経産業新聞の記事「ゲーム流でビジネス改革⑤:おもてなしの意識こそ」から

ゲーミフィケーションと日本のおもてなし文化

コラムの著者深田浩嗣氏(ゆめみ社長)がゲーミフィケーションの成功の秘訣について語っている。

○ゲームに熱中したりわくわくする意識付けは?
 深田氏の連載の初回で『ゲーミフィケーションとは利用者を動機づけするために使うもの』と紹介していた。根本的には動機付けは、利用者の目線でのニーズを深く理解することから始まる。さらにどんな価値を得るためなのか、どんな目的で、サービスや製品を使っているのかといったことが分かれば、ゲーミフィケーションの設計が容易になるという。つまり、利用者が目的に近づく道具立てがゲーミフィケーションの導入の目的である。

○ゲーミフィケーションによる顧客誘導
 目的への段階設定、目標の設定が重要である。次に、簡単に達成できる小さな目標を提示することから始める。利用者が目標達成への筋道を考えられる工夫も取り入れる。目標に向けて進む過程で達成感や能力の方向性が考えられるように工夫する。さらに高度な目標に進めるように工夫を通づける。

○利用者が商品を買う目的は価格ではない
 深田氏も説いているように、価格が安いだけの理由ではなく、購入動機の根源があるという。その動機が、ゲーミフィケーションの設定で必要な目的である。

○日本の「おもてなし」の心が究極の利用者の目線
 深田氏が指摘するように日本は利用者目線でのおもてなしを理解して付加価値としている。接客業はその最先端であろう。世界に誇れる文化であるおもてなしを、最先端のICTにも応用できる点はゲーミフィケーションの面白いところである。ソーシャルメディアがあらゆる業態で使われるようになった昨今、おもてなしのこころを導入できれば他の国がまねできない優位性が築けると深田氏は語る。confident


【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「名経営者に学ぶ仕事術⑤:本田宗一郎氏の巻」から

2012.12.20  日経産業新聞の記事「名経営者に学ぶ仕事術⑤:本田宗一郎氏の巻」から

需要の読みで事前に生産調整

コラムの著者 吉田勝昭氏(日本ケミファ元専務)は、ホンダ創業者の本田宗一郎氏の『私の履歴書』から安定供給の確保、すなわち必要な時の生産調整のヒントを紹介している。

【本田宗一郎氏の市場動向の読み】

ホンダ創業後、二輪から四輪自動車への進出時期と、日本では岩戸景気と東京オリンピックの狭間の期間景気がかなり悪化した時期が一致した。吉田氏は、本田氏のこの時の市場動向の読みが重要だという。本田氏はすでに景気後退が深刻化する1年以上も前に生産調整を断行した。

『私の履歴書』経済人6で本田氏は、

ドル防衛で米国経済が変調を来たして日本にも影響しそうな気配があり、(中略)正月にかけての大雪で日本中の3分の2が交通マヒを起こした。そんなこんなで売れ行きがかんばしくなかった。そこでこんなときにこそ生産調整すればいいんじゃないかと考えた」

 

と語っている。寒さの残る2月に操業をストップすると取引先に先行きへの不安を抱かせるので、暖かい季節に向かって、景気が良くなりそうなムードになる3月に生産調整を断行した。5日間の調整を設定して約1カ月の実施計画を立てた。

○生産調整で浮かび上がった課題を逆手に

ホンダも急成長の中で生産設備や部品の調達で課題が目立つ状態になっていた。ちょうど生産調整時は、社員全員でその棚卸と対策を立てる時期とした。反ってこれが、生産を再開する時に、以前より品質を上げ、低コストで製造できる状態となれた。世の中では岩戸景気の後半で増産を行う企業が多いために、ホンダは生産を停止しても取引先からはクレームは全くなかったという。

危機回避への決断のタイミングと実行力の差が企業にとって致命的なことになりかねない。本田氏のトップとしての判断と実力は卓越していた。happy01

【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「眼光紙背:1丁目1番地は『企業に活力』」から

2012.12.18 日経産業新聞の記事「眼光紙背:1丁目1番地は『企業に活力』」から

転換期の国内企業政策

コラムの筆者が語るのは、自民党が再び政権を取った後の企業さらに経済政策についてである。

○3年前‐2009年は日本経済の転換期

三菱自動車とキャタピラー、トヨタとゼネラル・モーターズ(GM)、ファナックとゼネラル・エレクトリック(GE)の提携関係の解消、リーマン・ショック後の米企業の経営悪化がある。

ただ、国際的に見れば、米企業の動きからも推察されるように、日本以上に重要な相手や市場として中国が台頭してきた時期でもあるという。

○政策の遅れ

その後の民主党政権は、コラムの著者によれば「アンチ企業」として、円高を放置し、法人税問題や自由貿易協定に消極的であった。この3年間で企業を強く、魅力的にする政策も取れたはずである。企業もあえて眼をつぶってきた感がある。電機や自動車のような国内企業に対しては緊急の対策が急務であるという。まさに、政策の『1丁目1番地』に置くべきだ。happy01


【ヒット商品】ネタ出しの会 日経産業新聞の記事「TechnoOnline:最古のコンピューター、チップ化、質・量の変化知る」から

2012.12.14   日経産業新聞の記事「TechnoOnline:最古のコンピューター、チップ化、質・量の変化知る」から

過去のコンピュータから分かること

コラムの著者 山﨑弘郎氏(東京大学名誉教授)の話は、米ペンシルバニア大学で1946年に完成した世界最初の『汎用』コンピュータからの技術の展開についてである。

○『エニアック』

米陸軍の弾道計算が目的で開発された、2進法ではなく10進法でデジタル的に計算した『エニアック』。その性能は、10桁の足し算が毎秒5千回、掛け算が同14回といったコンピューターで、真空管1万8千本、消費電力が約170キロワットで重さは約30トンといった、現在のパソコン用MPUなどには到底及ばない。プログラミングは外部配線で回路を相互接続して実行。入力と出力はパンチカードであった。

○LSI化とプログラミング手法の発達

同大学のシュピーゲル教授は90年代、エニアックの演算素子をLSI化することに挑戦。出来上がったのは、500ナノメートルの線間ルールで指の上に乗り、設計した約25万個のトランジスタで構成した。消費電力は、0.5ワット、演算速度はクロック周波数20メガヘルツで、元の100キロヘルツをはるかに上回った。

一方の技術の発達は、プログラミング手法の発達である。プログラムをメモリに記憶させ、必要に応じて取り出して利用するプログラム手法の発達である。さらに、通信技術や制御技術との結合することにより、計算機械であったコンピューターがシステムの頭脳に変貌した。さらに、外部メモリ、マウス、タッチパネル、表示デバイスなどが進化することで、パソコンとして社会に定着した。

単に過去の技術の枠組みの中でデバイスを置き換えるだけのプロジェクトでは定量的な変化が起こっただけである。コンピューターの周辺技術は、性能の数字ではなく、質的な変革をもたらした。タンジブル、インタンジブル両方の技術的な発達が今のコンピューター社会を形作っている。happy01